昨今、とても悲しいことですが児童虐待が増えています。痛ましい事件が報道されるたびに胸を痛めることも多いです。「虐待」誰しも自分がするはずがないと思っていると思います。しかしながら、「過去に親に虐待されていた」という辛い過去を持つ人には一つの心配事があるのではないでしょうか。それは、「虐待の連鎖」です。自分が虐待をされていたから、自分が親になったときに自分の子どもにも虐待をしてしまうのではないか、と。私もそんな一人で両親から虐待を受けた過去があります。親になる前、虐待の連鎖を心配しました。ですが、私は親を反面教師にして自分の子どもには絶対に虐待しないと決意して親になりました。現在二人の娘を授かり、親になって5年が経過しました。自分が虐待の連鎖をしないか心配している方に、私の体験をお話していこうと思います。
虐待の連鎖は絶対にしない 辛かった過去から 親を反面教師に
自分が虐待をされてとても辛かった、今でも思い出して辛くなることがあります。絶対に虐待の連鎖はしないと決意しています。
私は虐待されていた
乳幼児期ははっきりとは覚えていませんが、小中学生時代は虐待されていたのを覚えています。当時はまだあまり「虐待」という概念はなかったですが今思うと完全な虐待だと思います。
身体的虐待
頭や背中、腕をよく叩かれました。理由はおつかいを頼まれてちょっと嫌な顔をしたとかささいな口答えとかだったと思います。素手だったり本を何冊も重ねて思いっきり頭を叩かれたこともあります。親は叩いたあとよく「手が痛い」と怒っていました。濡れたふきんで頭を叩かれたり、髪の毛をひっぱりされ毛が抜けたこともありました。今でも覚えているのはあまりにも暴力が激しかった時があり、私より4つ下の弟が泣きながら両親を止めてくれたことがあります。弟にも暴力はありましたが私よりは少なかったと思います。
両親は毎晩、晩酌をしていましたが酔った勢いで昼間の事などを母が父に言いつけ、蒸し返して叩かれる事もよくありました。夜に家を出され、父に金属バットを持って追いかけられたこともあります。近くのアパートの2階に泣きながら逃げ込みました。夜に始まった暴力のあとは必ず外に出されました。19時とか20時くらいから23時とか日付が変わるくらいになると母が家に入れてくれました。次の日、父に謝って許してもらわないといけませんでした。
心理的虐待
言葉の暴力も頻繁にありました。大きな声で怒鳴ったり、人格を否定するようなこともよく言われました。ただ当時は悔しくて悲しくて言われた言葉をノートに書き止め、絶対に忘れるもんかという思いでノートを見ては涙していました。「橋の下で拾ってきた」「死んだらいい」などとても悲しい言葉は今も忘れることができません。
両親の夫婦喧嘩も時々ありました。喧嘩を子どもの前でするのは精神的虐待になります。両親ともに大きな声で罵り、父は母に暴力をふるい子どもの私はとても怖かったです。夫婦喧嘩のあとは決まって、夫婦の営みをするのですが広くはないアパートに住んでいましたので、ドアを閉めて行為をしているとはいえ、様子が聞こえてきたりして嫌悪感がすごかったです。テレビの音を大音量にして聞こえないようにしていました。
経済的虐待
お年玉やお祝いでいただいたお金などはほとんど全部没収されていました。親は「貯金する」と言っていましたが、貯金など全くしていませんでした。バイトをするようになってもバイトのお金は家に入れるように言われました。また、成人して就職してからは度々母親から金の無心をされ、1月に数万円は渡していました。
他には
どの虐待に当てはまるのかわからなかったものはこちらに書いていきます。
夏休みなどの長期休みは昼ご飯を食べたら12時半くらいから17時くらいまでは家にいてはだめと母から言われ家を出され毎日図書館や本屋などの涼しい場所で時間をつぶしていました。家にいたらいけない理由は母が昼寝をするからです。どんなに静かにしているからと言ってもダメでした。母は私たちを追い出した後、クーラーをきかせた部屋で一人でゆっくり昼寝をするのです。時間をつぶせなくて少しでも早く帰ってピンポンを鳴らそうものなら、ドアに本を投げつけてきたり怒鳴られたりしました。仕方がないので家の前で時間になるまで待つのですが蚊にくわれて辛かったです。追い出しは高校受験をする中学2年まで続きました。
他には両親ともに喫煙をしていたのですが狭い部屋でたばこを吸われると煙がモクモクして、とても煙たかったです。そのことを指摘すると激しく叱責され、家を追い出されたこともあります。酒やたばこも毎日のように買いに行かされ嫌で仕方がなかったです。
もう一つは21歳で家を出るまで父と同じ部屋で寝ていたということです。2部屋しかない狭いアパートに家族4人で住んでいました。理由ははっきりとはわからないのですが、母が弟と一緒に寝たいという理由だったからだと思います。
当時も辛かったが今も辛い
虐待されていた当時ももちろん辛かったですが、私が親となった現在、どうして自分の子どもにあのような事ができたのだろうと考えるととても悲しい気持ちになります。現在両親はとてもまるくなり、孫である私の子どもにもとてもよくしてくれ、関係は比較的良好です。一見、私は両親とは普通に接しているつもりですがどこかぎこちない、まだ心を開ききれない、といったことがあります。
当時は辛くて声を押し殺して泣いたり、泣きはらして次の日目がパンパンに腫れていることもありました。「息を止めたら死ねるかな。」と考えて息をするのをやめたこともありますが、当然苦しくて長くは続けられません。自分が死ぬことで両親に抵抗しようとしていたのかもしれません。
親を反面教師に
両親が私に行ってきた虐待行為を絶対に我が子にはしないと決意しています。
親を反面教師にして私がされてとても辛かったことは絶対にしない、するべきではないと思っています。
虐待は連鎖しない 二人の娘を育てています
私は虐待を受けていましたが、子どもをもつときに絶対に虐待はしないと決意していました。
しかしながら育児をしていて時々、私は子ども達に十分愛情を注げているのか、色々と不安になります。詳しくは「ママ私のこと好き?と聞く娘 子どもへの愛情表現が不足?」「ママ大好きは愛情不足?ショック!娘が死んでもいいと言った」
「ママ私のこと好き?」と聞く娘 子どもへの愛情表現が不足?
ママ大好きは愛情不足?ショック 娘が「死んでもいい」と言った
叩かない
2人の娘に対し叩いたり蹴ったりなどの暴力は一度もしたことがありません。お尻ペチンやおててペチンなどもありません。
叩きたいくらい腹が立つことはあります。妄想で叩いて終わりです。決して手はあげません。
人格の否定をしない
叱る時は、短く、簡潔に過去の事は持ち出さずに人格の否定をせずに行為のみを叱るようにしています。
子供のお金は使わない
児童手当、お祝いでいただいたお金など子供のお金は全額貯金しています。将来、そのまま子どもに渡したいと考えています。
夫婦喧嘩はしない
夫とは普段はめったに喧嘩しないのですが、一度だけ子供の前で暴力などはなかったですが口論で激しく夫婦喧嘩をしてしまいました。夫も「子供の前で喧嘩するのは虐待」という認識を持ってくれていたので夫婦で話し合い、以降は子供の前で喧嘩をしないように気をつけています。
無視をしてしまう
虐待をしないと固く誓っているのですが唯一してしまったことが「無視」です。無視は心理的虐待にあたります。怒りが沸点に達してしまうと瞬間湯沸かし器のように感情のコントロールができなくなって、話したくない、無視をして泣かしてこらしめてやろうといった負の感情が出てきてしまいます。
結果、無視をし続けて子供も散々泣き、私の気が済んだところでやっと話をするという感じです。本当にひどいことをしていると思います。無視だけは何度もやめようと思うのですが完全にはやめられていません。
まとめ
虐待を受けてきて、痛みがわかるからこそ虐待は絶対にしないと決めて親になりました。しかしながら感情のコントロールができず、怒りの沸点に達したときに、怒鳴ったり、叱責したり暴力をするのではなく「無視」という心理的虐待をしていました。思い返すと子供時代、酷い虐待の日の翌日は親が一転優しく、その変わりように「許すもんか」という気持ちで親と話すことを極力避け、自分の殻に閉じこもっていました。そんな怒りで相手を許せないときに「無視」といった行動を大人になってもとってしまっているのではないかと思います。とはいえ、子供を傷つけていることは間違いがないので何があってもこの先、無視はしないようにしたいと思います。虐待の連鎖は絶対にしてはならないのです。